いい国つくろう…大丈夫かいな?

 昨年の夏、今から1年前。曽野綾子さんの「善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか」を読んだ。
 曽野さんの、小説、随筆などからの抜粋を軸に、すとんと腑に落ちる「生きた」言葉がちりばめてある。

 難民支援を長く続くけてきた日本財団での経験を基に、こう直言する。

 「私の体験から言うと、一般的に、資金の全額を出してあげるのはよくないと思います。理想を言えば、相手が五十一パーセントでこっちが四十九パーセント。そうすると、こちらも威張らないし、向こうは誇りを持てる。そして、その後どう真剣に自助努力していくかを見守ったほうがいい。
 困った人を助けるというのは、人道の大原則です。しかし、うっかりすると乞食根性を植えつけてしまいかねません。たとえば国連の難民キャンプに入れば、米と砂糖と油と燃料は配布される。そうすると、生活はそれなりに安定して、難民には申し訳ないけど、そういう難民を業(わざ)とする人々の発生を許します」

 ふーむ。政治家は本音を発言できないのかもしれないが、こうした、真実を理解する頭脳と気概は持っていてほしい。民主党のばらまき政策。こうした厳しい真実の「友愛」に基づいているのだろうか?

 イラク戦争当時のエッセー。曽野さんはイラク戦争には反対したことを、まず断っておく。

 「偽善者とは誰かー今度の戦いで、日本人の多くは事実の裏も読めず、厳しい現実にも参加せず、個人的な命やかなりまとまった金を捧げることもせず、アメリカを離れてどうしたら国を守る現実的な制度ができるかに改めて触れる勇気もなく、ただその場限りの平和を唱えることで、自分は善人であることを証明しようとした。そういう人々をー私をも含めてーほんとうは卑怯者というのである」

 明快である。夢の世界で生きていない以上、きれいごとのみを掲げる人は、卑怯者である。あまりにも左に軸足を置いている多くのマスコミは、この点をぜひ心にとめてほしい。

 そのマスコミについて。

 「最近の恐ろしさは、法に触れない程度の悪人になる自由も残さないことだ。新聞記者用パソコンにしかけられた差別語漢字変換拒否と同じ形の規制である。悪事を働くことができないように法で規制すると、世の中が善人ばかりになるかと言うと、全く反対で、自分で判断するのを止めたつまらない人間が増えるだけだ。善悪の選択こそ、輝くような個性の存在の証であるべきだ」


 けだし名言と言えよう。

 このほか、自由と無秩序の混同など、戦後教育の恐ろしい側面などについても、その矛盾を鋭くついている。

 曽野さん自身が、悪や愚かさを内包しているという自覚があり、逃げずに、何とか誠実さを維持しようとする、その姿勢が、心を打つのだろう。

 民主党は、ばらまき財源を消費税という「埋蔵金」に手を出そうとしているし、自民党もイマイチふがいない。社民、共産は「夢の国の住人」なので個人的には縁がない。「みんな」「立ち上がれ」もやや納得できないとこあるし…。さあ困った、困った。ガラガラポンしてほしいっす。