YESYMO

 プログレッシブ・ロックの御三家、というか四天王の一角は必ず占めるであろうYES.。
 「ロンリー・ハート」の世界的ヒットで、何となく売れ筋ソフトなイメージを持つ人もいるかもしれないが、彼らの真髄は4作目「FRAGILE」(1971年)と次作「CLOSS TO THE EDGE」(1972年)にあるというのは、大方のファンにとって衆目の一致するところだと思う。(個人的には「ロンリー・ハート」大好きですが…)。

 さて日本では「FRAGILE」は、直訳して「こわれもの」、「CLOSS TO THE EDGE」は意訳して「危機」という邦題で発売された。

 その「こわれもの」、個人的には3枚持っている。1枚はLPレコード(日本盤)、そして2003年リマスターCD(デジパック仕様、アメリカ盤)2009年リマスター(紙ジャケットE
式、日本盤)、そして昨日購入した2011年最新リマスター(SACD2ch 5.1ch、CDハイブリッド、日本盤)。

09年盤のは、LPで慣れ親しんだ音に近く、ジャケットの色合い、肌触りを含めて素晴らしい出来映え。
 03年盤は、少し落ち着いたリマスターで、代表曲である「ラウンドアバウト」の音はこちらの方が好みだったので、売り飛ばすことはないだろう。

 そして今回は、SACDで低音がトンデモなく素晴らしいのに加え、今まで陰に隠れていた音が聴こえる。リミックスしたんじゃないのか?と思わせるほど、一つ一つの楽器の音を見事に選り分け、汚れを取り、きれいに磨き上げたという感じだろうか?残念なのはプラスチックケースということかなあ。

 YMOの再結成時の「テクノドン」(1993年)が、リマスターされて再発されたが、こちらも大正解。当時でもいい音に感じたが、今回のを聴くと、チープな感じだ。でも特殊ジャケットだし、チープな音もまたテクノ的には楽しめたりするので、これまた両方を愛聴していこう。

 さて震災から5ヶ月が過ぎた。

 「こわれもの」とは縁起でもないが、アルバムを締めくくる名曲「燃える朝やけ」の歌詞。

 「輝ける心で心で夢を見続けよう」

 とある。「こわれもの」から、我ら復興するのだ。

 写真は下が09年盤、上左が03年盤、そして上右が今回買った11年盤。

佐藤家の日常への道

 震災から4ヶ月と3週間がたとうとしている。すぐに5ヶ月、そしてサンマが南下する9月には半年…。

 がれきは減ったが、余計にがらんとした印象が、痛ましい。

 毎日、毎日、震災のまちを駆け回っているが、あの日から積み重なった徒労感が、薄れては、また体に蓄積されていく。いたちごっこ

 先週は、女房と秋田の小安峡温泉に行った。1泊。震災後、初めて、心の底からリラックスできた気がする。

 まだまだ先は長い。それを考えるだけで、また気分は落ち込む。しかし歩を進めねばならぬ。

 中央から来たマスコミさんに負けたくないが、同じ被災者として、土足でずかずか入ることはしたくない。被災者のために何ができるか、考え続けたい。

震災を乗り越え初ガツオ

 来ました!気仙沼に。まずは巻き網船。45トンの初水揚げ。
 昨年で14年連続、生鮮カツオ水揚げ日本一だった。今年の15回目は、ちょっと無理かもしれないが、な〜に王座には来年、堂々と復帰すればいい。

 何はともあれ、あの絶望的な状態から、3カ月半でよくぞ、鮮カツオを受け入れることができた。

 漁船、魚市場、仲買い、製氷業、運搬…それぞれのがんばり、連携がなければ無理な話だ。

 気仙沼人はモンローといわれ、内弁慶かもしれないが、いざというときには大同団結できるから強い。いろいろ細部ではあつれきも、温度差も、意識の違いもあるが、そこを乗り越えないと、前には進めない。ましてや今回は。

 そしてたまたま今日、日曜出番の代休。気仙沼にいた。

 もちろんスーパーに並んだ初ガツオ、女房とおいしくいただいた。今の時期にしては脂も乗っているが、そんなこたあ些細なこと。

 あの震災を乗り越えて、気仙沼復活のシンボルを、ありがたくいただいただけで、そりゃあもう一生忘れられない味なのだ。

 大師丸の船頭さんの言葉も泣かせた。「漁場が遠い?関係ない。ここしか揚げないと決まっているんだから」。

 く〜っ!わさびが利きすぎる!

 7月も近い。
 
 少しずつ、薄紙をはぐように「日常」を取り戻しつつあるけど、なんだろう…。

 脱力感もある。

 こうして日記を書くのも、何度も、何度も、書き始めて、止めるの連続。

 何と言うか…。何を言いたいのか…。何なのか…。

 その堂々巡り。

 今はたぶん、再生モードで、充電をすべきときかもしれない。

 放電はもう少し先にできればいいなーと思う。
 
 書くことを生業にして、そこは、何とかこなしているけど、でもその先が、別に、大したこと書かなくてもいいんだけど、続かない。

 毎日、手書きしている日記をアップすればいいのか?でも違う気がするし…。

 この、ぐだぐた感を、どうにかせねば。

 すみません。ここまで、お読みになった方にお詫びします。
 
 次回はもう少し、まともになってます。

*2度あったことは3度あった

 穏やかな天気。連休をいただき、気仙沼NOW!
 とりあえずは、女川湾に消えた車に積んでいたCDを特定しつつ、収納棚の整理をしよう。
 かつて南三陸地震で崩壊し、今回の東日本大震災でまたも雪崩のように、床に落ちた。
 足がなく、石巻から離れられなかったのでGAIに「適当に押し込んでおいて」と頼み、あらかた棚に戻したところ、なんと4月7日の最大余震で、3度目の土砂崩れ。

 初めて帰郷した時に、輪ゴムで簡単なストッパーを作った。もう大丈夫、、、って、もう大きな余震や、他の大きな地震、CD棚とは関係ないが津波もたくさんだ。

 さて棚はジャンルもアーティストもめちゃくちゃ。押し込む前に、ちゃんと分類しなくちゃいけないのは分かっていたけど、散乱したまま放置したり、時間をかけて整頓する余裕もなかった。

 しんどいが、趣味の世界。うざね吐きながら、楽しもうっと。

 写真は今回の震災で散乱をしたCDと、輪ゴムストッパー。

*5月になった

 買い替えたパソコンから入力中。ようやくインターネット環境を取り戻した。古里の気仙沼、勤務地である石巻とも復興への道のりはまだまだ遠い。
 主要道のがれきはなくなったが、一歩裏道に入ると、住宅から出た震災ごみがあちこちに積まれている。道路もぼこぼこで、冠水地域も多い。
 それでも再開する店が増え、中心部では居酒屋もぽつぽつ灯りをともしつつある。
 がんばろう!東北。

*震災から半月

 震災から半月が過ぎました。今日は、娘の引っ越しと、移籍する名古屋市内で住む賃貸住宅の契約書の保証人欄に自書するために仙台。郵便がまだままならぬゆえ。
 昨夜、5日ぶりに風呂。しかし仮設トイレ、水の出ない小用、着のみ着たままの生活も、慣れた。
 仙台は通常に近い生活に戻りつつある。うらやましいというより、「仙台が復興しなければ、石巻気仙沼の復興は遠い」と感じていたので、「ほっ」とした。
 まだまだ先は長いが、確実に歩みを進めたい。

 娘の引っ越しで当分、ノー・パソコンの生活。ノー・ミュージックの生活が続く。車も買うようだしなあ。
 音楽は頭の中で華麗に響かせることができる。今は、なぜかプロコム・ハルムの「青い影」が。この曲はいつでも美しい。