日航機墜落から20年。あのボイスレコーダーの音声をニュースで聞いたときの背筋が凍る思いは今でも鮮明に思い出す。

 1985年。27歳だった。まだ気仙沼テレビに勤めていた。気仙沼では全国水産シンポジウムが開かれ、ある意味で、気仙沼の「水産と観光」のまちづくりがスタートした年だったともいえる。
 日航機墜落の真相はいまだに不可解な点が多いという。隔壁が損傷し、急激な気圧変動があれば、客室内は一気に氷点下まで気温が下がるというが、生存者からは全くそのようなことはなかったという証言がある。
 さらに機長らのやりとりも明瞭に記録されており、マスクを装着したようなくぐもった音声ではない。
 さらになぜか相模湾で尾翼の徹底捜索は行われていないし、未確認ながら米軍が墜落現場にいち早く救援に向かうも、なぜか途中で引き返した…など不明な点が多々ある。
 
 安易なことは言えないが、誤爆や誤射などの可能性があるのではないか?それを必死に隠しているのではないのか?誤射した相手は…。こうなると国家機密か(^_^;

 まあ推理小説の域を出ないが、気圧の急変動がなかったらしいというのと、尾翼捜索を打ち切っているのは何とも腑に落ちないよなあ。
 いずれにしても尊い人命が500人以上奪われたのだ。もし隠された真相があるのなら、それが明らかにしてほしい?遺族の叫びももっともだよなあ。合掌!



▽写真は新宿南口にあるHMVのトイレから副都心を狙う。高層ビル群。20年前まだ住友ビルとか数棟しかなかったよなあ。都庁もまだなかったし。