ポイ捨てはいけません?

 
この間、こんな記事が載っていた。↓

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/23779/

 かつて使い捨てカメラ(フィルム付きレンズ)が一般的になったころ、「そのうち、使い捨てビデオも出たりして…」と無責任なヨタを飛ばしたら、理系の友人から、えらくひんしゅくを買った記憶がある。
 科学的根拠なんぞない、単なるギャグなんだけど、技術開発の難しさ、そのたゆまぬ努力を斟酌できる人にとって、私の発言は「冒とく」に近いものがあったのだと思う。
 しかしだ。時代がいとも簡単に、常識を追い抜いた。
 あくまでも結果として、私の無責任な予測が当たったというに過ぎない。先見の明なんぞではないのは言うまでもない。ただ面白半分に茶化しただけだったのだから。
 音楽配信の時代だ。もう何がどうなっても驚かない。いや驚けないかもなあ。
 
 人間(だけかどうかは分からないが)の免疫力の親分であるT細胞に、自己と他者を厳しく教育する器官が胸腺だそうだ。しかし胸腺の機能は青年期を前に早くも衰え始めるという。
 そして老年期には、自己も他者も区別なくT細胞をはじめとした免疫細胞は、無差別に攻撃を始める。
 そう。まさに老化現象で、最後には人に死をもたらす。
 しかし、生きて死ぬことで、生物は進化してきた。個体は死んでもDNAを未来へとできるだけ安全に運ぶ。実に見事な仕掛けというしかない。
 その意味でも、肉体もまた使い捨てである。もちろんだからといって、おろそかにするのは間違いだ。全ての「精一杯」の積み重ねがあってこその「次」なのだから。
 「君、死にたもうことなかれ」。自殺する人にも意味はあるのだろうが、やはり生を得た以上は、全うしたい。
 「生まれてすぐ死ぬ赤ん坊もいる。贅沢は言えない」。
 いまだにある人が言った言葉が正しいと信じている。

 そう命こそが、私たちとカメラやビデオといったマシーンとの違いである。