ノー・ミュージック

 もはや27年前になる。この「ノー・ニュー・ヨーク」(1978年)なるオムニバスアルバムが発売されたのは。
 当時、パンクからニューウェーブへと以降しようとしていた時代。まるで突然変異のように、一瞬だけシーンをにぎわし、歴史の狭間に消えた。そんな印象のレコード(記録)だ。
 ニューヨークで地下活動していた4組のバンドの16曲が収められている。プロデュースはイーノ。のちにトーキング・ヘッズU2などもプロデュースし、環境音楽家としてでなく、その名を音楽界にとどろかした彼だが、ニューウェーブ系との出合いがこれだ。
 チューニングしてないギターを打楽器のようにかき鳴らし、日本人女性の素人ドラマーと創り出す、まるで針金細工のようなサウンドを響かせていた「D.N.A」。ギターのアート・リンゼイは今でこそおしゃれなプロデューサーとして名を馳せているが、この不協和音などという音楽用語を鼻でせせら笑う、ノイズ&リズム。
 しかし、これがまるで虫さされをの痒みを掻きむしるような快感が脳天を貫く。痛がゆさ。血が出るまで掻きむしる。当時、こんな音はなかった。ぶっ飛んだ。
 さらには、のちにジェームス・ホワイトと名乗るジェームス・チャンスの、まるでジャンキーのようなサックスを核としたフリージャズ・パンクの「コントーションズ」。
 ヘンテコなノリのリズムのパッチワーク・バンド「マーズ」。リディア・ランチなる女性ボーカルが、ヒステリックに痙攣する「ティーンエイジ・ジーザス」。
 アート・リンゼイ以外は、その後ほとんど消え去った。まあパンクがぶっ壊したロック音楽の裂け目にもう一度、乱暴にオキシドールをすり込んだような音。ジュッという音ともにアワを噴き、そしてアワと消えた。
 しかしこのアルバムだけは、今でもそのやけどの痕を生々しくとどめている。時折、ハッとして、やけどの痕を改めて見いだすように、耳をそばだてる。
 ありがたいことに、47歳になった私にも、20歳のオレが感じた、あの「ジュッ」という消毒の音が聞こえるし、痒みが消えていく快感を感じる。音楽は「音」を「楽しむ」ことだが、その楽しみは幾らでもあるのである。
 レンタルレコード店で借りて、録音したテープはとうに無くなった。日本では1997年に世界初CD化されているのをついこないだ知った。
 久々に心がアワだった。