合同慰霊祭も済んだ

 23日に第7千代丸の合同慰霊祭があった。29日、DNA鑑定で1人の身元が千代丸の船員と確認された。これで16人の乗組員のうち9人が遺体で発見された。しかし2か月が過ぎようとしている今、7人がいまだ行方不明だ。「奇跡を信じたいが、もはや無理かもしれない」そんな重い現実がのしかかる。
 合同慰霊祭は一つの区切りではあるが、これからまだまだやるべきことは多い。
 「リアスの風」では記者全員が手分けして、全員のご家族にお会いして、22日付けの紙面で、それぞれの歩んできた道、人柄を紹介した。紙面には、1人1人が生きた証が並び、胸が詰まった。取材した記者全員が同様な思いで、紙面に見入った。重い紙面だ。命の紙面だ。
 私が担当したご家族。自宅を訪れ、丁寧なお断りをいただいたが、4度目にようやく玄関の中に入ることを許され、亡くなったAさんのお人柄をお聞きすることができた。
 家族にとっては、悲しみに沈んでいる最中に、記者が来るなんて、迷惑千万に違いない。
 それでも最後には線香を手向けるのを許してもらった。
 「二度と悲惨な事故を起こさないためにも、市民全員がこの悲しみを共有します」とAさんの遺影に誓った。
 遺族、遺影を前にすると悲しみとともに怒りがわいて来た。何度も繰り返される海難事故への憤懣やる方ない思い。
 「スローフード都市宣言以前に、海難事故撲滅都市宣言をすべきだ!」と。
 今回の追悼企画。何度足を運んでも、最後まで丁重に取材を断った家族もいた。当然だ。同級生やご近所からの周辺取材にとどまったが、それは仕方のないことだ。
 でも、それは取材の失敗ではない。記者が今回の事態に向き合うためにも、全ての家族に会うという決断は、地元新聞社として正しかったと思う。
 繰り返すが、慰霊祭は一つの区切りに過ぎない。決して終わりではない。再発防止に具体的な動きがない限り、不幸はまた背中に迫る。
 記者としてやるべきことはたくさんある。そう、Aさんに誓ったように…。

 ともかく今は手を合わすのみ。海の男たちに合掌。