猛暑のための音楽と、暑苦しい言葉狩り?

「おいらは、ドラマー、やんちゃなドラマー…」って、「嵐を呼ぶ男」を模したCM。

 「やくざなドラマー」が「やんちゃなドラマー」。

 
 「みなしごハッチ」が「みつばちハッチ」って…。

 筒井康隆先生でなくても、この自主規制には「?」だなあ。

 さて、そんな暑苦しい夜。いかがお過ごしでしょうか。

 と、いうことで…。

 最近、購入したCD。

 まあ最近はめっきり購入数が減りましたが…。


 写真は1枚目。右上がマイク・オールドフィールドの2nd「ハージェスト・リッジ」(1974年)のデラックス・エディション。
ジャケットがオリジナルと違うが、こちらは2010年リミックスの方。オリジナル・ミックスの方は、おなじみのジャケットが同封されている。
 リミックスは、各楽器の音がよく分かる、というか全く別作品として聴ける。最初、違和感が残るが、2度、3度と聴くうちに、イギリスの田園風景をテーマにしたという本作の、ひなびた雰囲気はより強くなった気がする。悪くない。まあオリジナルが体にしみ込んでいるが、別の「夏への扉」ではある。

 右下は、やっとCDリマスター&紙ジャケットで発売されたレインコーツの1stアルバム(1979年)。レコードは本当に愛聴盤で、まさにパンクからニューウェーブへとロックが激しく化学変化を起こしていた時に生まれた傑作だ。
 ニルヴァーナの、カート・コバーンが惜しみない賛辞を寄せている。
 「レインコーツの1stアルバムのガリガリと音を立てるアナログ盤をプレイヤーに載せる贅沢がなかったら、僕にはこれっぽっちの平安も訪れることもなかっただろう」と、青春時代を振り返り、こう述懐している。
 述懐したのは1993年。彼はこの時点で既に、歴史的かつ世界的な大ヒットアルバムを世に出していた。その後、彼は、とてつもない成功と自己のギャップの中で、再び「これっぽっちの平安」すら失い、自ら命を絶った。

 レインコーツを聴いていると、つくづく音楽は何でもありだと思い知らされる。同時代の伝説のバンド「ワイヤー」と同じく、演奏のテクニックというかノウハウがないゆえに、余計なことができないゆえに生まれる、奇跡的な間。音を出している喜びがほとばしる。そんな女性4人が残したダイヤモンドの原石だ。カート・コバーンももう一度、聴いて、生き抜いてほしかった。

 左下はフェヴァリット・バンドであるジェネシスの黄金期を支えたギタリスト、スティーヴ・ハケットの「真夏の夜の夢」(1997年)。クラシック・ギターの作品集。本人いわく、シェイクスピアの作品にインスパイアされたーそうで、リリカルかつ、バラエティーに富んだ演奏が堪能できる。中には三味線のような音階もあり、なかなかの意欲作だ。

 左上は、敬愛するロバート・ワイアットの名作。「ルース・イズ・ストレンジャー・ザン・リチャード」(1975年)。イーノも参加し、ふわふわした浮遊感とユーモラスな音世界を確立した作品。やっとリマスターCDをゲット。

 

 写真2枚目は、右がリンダ・ロンシュタッドの不朽の名作「風にさらわれた恋」(1976年)。ウォーレン・ジボンの表題作、ライ・クーダーの「おしゃべり屋」、カーラ・ボノフの「誰か私のそばに」など名作ぞろい。メキシカン、レゲエなどの曲もあり、まさに夏!だいたい、このジャケットに手を出さないなんて男じゃない(おいっ!…笑)。今回は2010年最新リマスターで登場。
 
 左は、今一番の実力バンドであろうレディオヘットの最新作にしてもはやマスターピースの仲間入りをした風格さえただよう「イン・レインボウズ」(2007年)のアウトテイク集。この作品だけ出してくれればいいものを、オリジナルとセットで販売には少々文句を言いたい。あれだけの傑作の「外伝」だ。そりゃあ「買い」だからね。ちぇ、足下を見られた(見たのは、ミュージシャンサイドではなくレコード会社だと確信しているが)。まあ作品自体「なんで収録しなかったの?」という高いレベルなので許すw …そうそう余った本作一つは、「佐藤家の日常」のエグゼクティブ・プロヂューサー(よう、意味が和からないが、つかってみた)あずみ氏に押し付けた。音は既に届けていたので、ほとんど意味はない。いつも、すまんのう。

 あらためてロックの場合、やはりジャケットの魅力は捨てがたい。作品ととてもマッチしていて、それぞれの音世界に誘う覗き窓の役割を果たしてくれると思う。ネット配信では、そうした役割はだんだんとなくなるのだろうな。やはり少し寂しい。